船首から大陸が見えた時、きっと気づく。「僕たちは、大地の上で生きてきたんだ」と。
体験談より

船 - 大陸へ渡る船、ロマンを運ぶ
世界中の空港はどこの国でも、そこまで変わりません。しかし、港というのは、国によって、雰囲気が大きく違います。関西から定期的に鑑真号や燕京号の船が出ています。三十数時間を掛けて、ようやく、地平線から中国大陸が現れるその瞬間はなんとも感動的。
十六世紀頃、古き大陸帝国制覇の時代が大航海時代よって取って代わられたことを思えば、この船はまさに時代の移り変わりを感じられ、旅はさらに壮大なものとなるでしょう。
体験談「船旅の生活」 早稲田大学・湯川隆臣
船という乗り物は、現代日本人の感覚からすればだいぶおかしい乗り物だ。
飛行機なら3時間で着くところへ同じように行くだけで2日もかかるし、海を行くからそうそう刻一刻と景色が変わるという類のものでもない。ということは2日間も大海原とにらめっこをしなければならない。海が荒れたら酔い止めの薬がなければ気分を悪くするかもしれない。「効率が悪くて仕方ない」と多くの日本人は言うかもしれない。
確かにそう。移動するだけと考えたら、時間の無駄。
でもそこにはそれ以上のものが―確かに―あるんだ。
発想の転換とはよく言ったものだけれども、せっかく旅に来ているのに、せかせかして名所を回るだけ、というのはいかがなものか。それでは旅ではなく、チェックポイント巡りでしかない。旅には雰囲気、空気、風、香り、などなど色んな―目に見えないけれど、でも確かにそこに存在する―ものがつきものだ。それを楽しむのが旅であるとするならば、例の「船」という乗り物は多分に贅沢な乗り物なんだと気づくだろう。
お金はきっと飛行機の数分の一で済むはずだ。待遇も特に良くはない。
ただ、そこに流れる時間は確実に、贅沢な時間。
船の上での時間は、当然ながらせかせかしていない。やることも決まっていない。
好きな時間に起き、好きな時間に寝る。好きな時間にデッキへと出て行き、朝日や夜空を目に焼きつけ、好きな時間までデッキで寝そべり、夜明けや夕暮れの風を吸い込む。
雰囲気を作り出すのは人、だ。船にはいろんな人が乗り込んでいる。これから仲良くなる仲間、違う旅へと向かう日本人、アジアを旅する外国のバックパッカー、故郷へと帰る中国の人、そして陽気な船員達。そういった人達が、ゆっくりとした時間の中少しずつ、そこにしかない空間を作り出す。誰かが意図して作るのではなく、それぞれが自由に、気ままに、行動した成果。有名な遺跡や名所は動かず、顔色一つ動かさないけれど、人は常に動き回っている。その結果、瞬間瞬間で空間も変わって、同じ物は世界中探してもない。
その空気を自由に作り、自由に参加し、自由に吸い込む。誰も妨害することなんてない。
なぜなら時間はゆっくり流れているから。人の邪魔をしたり、「自分の利益を考えること自体がナンセンスで」なんてそもそも考えることもないだろう。そこにはそういう空気があるだけ。それだけ。でもそれはとても贅沢な空間。
海とは言っても、島や橋や星や雲や月や太陽や鴎や亀や、色んなものを見ることが出来る。その中で、一度出発した後、次にそれを見た時に大きな実感を得るものがある。大地。
僕らはいつも土の上で生活している。地に足をつけて、なんて言葉があるけれど、船に乗ったらそれ自体が地に足についていない行動になる。もちろん船はちゃんと航行するから気づかないし、不安にもならないけれど、船首から大陸が見えた時、きっと気づく。
「僕たちは、大地の上で生きてきたんだ」と。
船を降りたら、また当たり前のように大地が待っていて、当たり前のように上海の街へと繰り出すためにつま先が進む。けれども、その当たり前が嬉しいと思うのは船の生活に一度慣れてみるから。足がしっかり大地を踏みしめる、そんな当たり前に気づくのも、船がくれた贅沢な気づき。
船という選択は、多くの日本人はしない。けれども、みんながしないことが良いことかどうかはわからない。旅をしよう、と思い立った時、それは何かを得ようと思った時。
日本の生活から離れるのだから、せかせか生きなくてもいいじゃない。
それが出来る時は、それを選ぶ。世の中には忙しすぎてそれが出来ない人もいる。携帯片手にぎゃあぎゃあとわめきながら飛行機に足早に乗り込まないといけない人もいる。
そしてそれを「かわいそうになぁ」と横目で見ながら船に乗り込む。
船という選択はとても贅沢。そして船という選択が出来ることも、とても贅沢。
お金で買えない贅沢をしてみよう。と思えるあなたは旅を知っている、豊かな心の持主。