交河故城はトルファン市西郊12キロの所に位置する。その歴史の始まりは、今から2000~2300年前の車師国人が建造され、東西を2つの河に挟まれた台地上にあり、天然の要塞となっている。

そ の当時で人口が六千五百とある(当時の首都・長安の人口が二十四万ほど)。廟宇、官署、塔群、民居と作坊などの建築で組まれ、総面積が25万平方メートル に及ぶ。現在中国において面積最大、完全に保存された土建築遺跡である。この城の下には河が流れているので、交河城と言う。 ここは、シルクロードの要衝であったため、昔から多くの国がここで攻防を繰り返してきた。漢代の車師前王庭があった所であり、漢王朝の重要な屯田地とし て、また辺境防御の任務にあった。麹氏高昌国時代、中心は高昌故城に移ったが、交河故城は軍事的拠点として使用され続けた。 702年には最初の安西都護府がおかれ、唐の西域経営の中心となった。ウイグル王国時代も重要な都市であったが、元代末期、チンギス・ハンの遠征の途中に 破壊され、廃城となった。
