上海 南京路、外灘

万博開催地、中国一の国際都市。船で海から揚子江へ入り、長江を遡って四時間、上海港につく。航路沿途に上海の壮大なランドスケープが開かれる。この旅で、大都会、上海の発展を目の当たりにした私たちは、同時にその発展の影も目撃することになります。

 

●南京路 人民広場と外灘を結ぶ「南京東路」は上海で一番歴史があり、中国らしさを色濃く残す繁華街です。南京東路の開発が始まったのは租界時代の1851年、その後上海の都市開発が進むにつれどんどん賑わいを増し、馬車の往来が多いことから「大馬路」と呼ばれたそうです。現在では中国雑貨を扱うお店や老舗レストランなどが軒を連ね、西洋の香り漂う魔都上海にして、中国の一都市としての上海を感じることもできます。

 

●外灘 「外灘」という名称は、「外国人の河岸」を意味する。英語名の「バンド」は、築堤・埠頭を意味する “Bund(ウルドウー語、英語ではBand)” に由来する。かつての大英帝国植民地の各地に「バンド」と呼ばれる堤防や埠頭があるが、固有名詞として単に「バンド」(The Bund)と言った場合には、上海のバンドを指す。 揚子江を面するこの一帯は19世紀後半から20世紀前半にかけての租界地区(上海租界)であり、当時建設された西洋式高層建築が建ち並んでいる。租界時代の行政と経済の中心であったことから現在も官庁と銀行が多いが、シャネルを始め、ジョルジョ・アルマーニやカルティエなどの大型旗艦店や、租界時代のレトロな雰囲気を売り物にしたバーやレストランなどが建物の中に入るようになり、お洒落な街並みに変貌しつつある。