漢の長城

敦煌から西北100kmの所に「西域南路」の関所であった「玉門関」があります。その道沿いに延びる城壁跡があります。これは、秦の時代に築城が始まった 万里の長城よりも少し後、漢代に築城された長城跡です。万里の長城の西端は敦煌の東にある嘉峪関(かよくかん)と言われており、この漢長城はちょうどその 西方へ向けての延長線上に位置します。この漢の長城も万里の長城と同様、西域の脅威であった「匈奴」の侵略から領土を守るためのものでした。延長は 150kmといわれますが、残念ながら風化が進み現在は恐竜の背鰭のようにとぎれとぎれで残っています。壁の構造は、芦と土とを重ね合わせながら突き固め た物です。外壁がほとんどなくなっているのでその様子がよく分かるかと思います。城壁に続くように烽火(のろし)台が残っており、さらにその側には、烽火 用に準備されたと思われる芦の束が化石のようになって今も残っています。現在では、特別な発掘作業もされず荒れるがまま・・・ということですが、その辺を ほじくれば貴重な埋蔵物が出てくる可能性が高いそうです。