カレーズ

 トルファンの生命線―地下水路 《カレーズ》  トルファンは中国で最も暑い地方でもあり、一日の平均気温が35度を超える日が年間100日を越え、1975年7月31日には中国観測史上最高気温の 49.6度を記録した。この日の地表温度は83.3度にまで達している。こうしたことから、トルファンは古来、「火州」の名で呼ばれてきた。また、降水量 が年間16ミリと低いため、中国で最も乾燥した地域とも言われている。しかし、「火州」の地下には独特の水利施設、カレーズが張り巡らされており、広大な 農地は緑をたたえ、町は昔からシルクロードのオアシス都市として栄えてきた。トルファン盆地全体で1200以上の井戸があり、その地下水脈の延長距離は 5000キロ以上にも達している。これは長城、大運河と並ぶ、中国史に輝く偉大な土木事業の一つである。

カレーズ

トルファンは二つの頭を持つ「共命鳥」である。その頭の一方は地上に、もう一方は地下にある。  「共命鳥」とは古い仏教説話に語られる双頭の鳥のことで、1975年にトルファンのアスターナ古墳群からその像が出土している。  トルファンは、まさに地上と地下に頭を持つ「共命鳥」である。地下のトルファンは悠久の歴史を保ち、地上のトルファンは現実世界の中で発展を続けてい る。この二つが一体となってはじめてトルファンは成り立つ。地上と地下の両方を見なければ、完全にこの町を理解したとはいえない。 ――地下に守られた生命の源  トルファンの生命の源は地下に張り巡らされた地下水道のカレーズである。現在、歴史学者は、カレーズは西のペルシャから来たものなのか、東の中原から来 たものなのか、或いはトルファンの人々が創造したものなのかを論争中であるが、カレーズがトルファンにとって生命線であることは揺るぎない事実である。  カレーズは蒸発を避けるために地下に築かれた水路で、流れる水は天山山脈の雪解け水である。灼熱の砂漠を車で走るとき、果てしない荒地に一直線に並んだ 土の塚を発見したら、それははるか天山山脈の麓から続くカレーズに違いない。

カレーズ

トルファンで出会った75歳になるウイグル族の老人は、「カレーズ掘りはきつい仕事だよ。わしの一生はカレーズ掘りに明け暮れたようなものさ。もう65年 ずっとカレーズを掘ってきた」としみじみと語った。 彼の話では、まず、20~30メートルの間隔で二つの竪坑を掘り、その間を掘り進んで地下トンネルでつなげる。こうして天山の麓に湧く泉に行き当たれば完 成である。現代のどんな技術も、古代から受け継がれてきたカレーズには及ばない。「竪坑から地下にもぐって、ランプの明かりひとつを頼りに掘っていくの さ。地下は狭いから一人しか入れない。掘った泥を竪坑まで運び、上にいる者が滑車を使って泥を外に出し、竪坑の周りに積み上げていくのさ」。

カレーズ

トンネルの中は暗闇で、方向がわからなくなる。もしも、方向を誤れば、二つの井戸はつながらないのだ。そのため、トンネル掘りの人夫は常にランプを見て 方向を確認する。しかし、トンネル内は酸素が希薄なため、ランプの煙と煤が人夫の目を直撃する。「中には目をやられてしまった者もいるよ。目が真っ赤に なって、日差しの中にいると涙が止まらなくなる」。老人はその仕事の辛さを思い出しながら話す。  カレーズ掘りは大事業だが、その維持も掘削に負けない大事業である。「一年に一度、春にカレーズの浚渫をやる。冬の間に固まった泥が流れをふさぐから ね。それを掃除しなくちゃならない。人の血管と同じで、カレーズが詰まったら、村は死んでしまう」。  トルファンの人々が暗闇で掘り進めたカレーズも、集落に入れば地上を流れるようになる。水路はハコヤナギの並木に守られているためは、その水は雪解け水 の冷気を失ってはいない。老人の家ではヒツジの肉やハミ瓜、野菜などの生鮮食品を水路の上の貯蔵場に保存しているのだそうだ。40戸あまりの葡萄農家を 巡って流れる幅50センチほどの細い水路、その水を汲む素足の女性たち。それは豊かで美しい田園の象徴である。前出の老人の家では30アール余りの葡萄園 と、そこで実をつける15種類の葡萄が、生活の糧なのだそうだ。  水は中国で最も乾燥したこの地域を緑の大オアシスにし、中国で最も暑さの厳しい地域に世界で最も美味な葡萄を実らせた。砂漠を渡る熱風も、ここでは干し 葡萄を作るための天然の乾燥風である。  俯瞰写真を見ると、荒れた砂漠に並ぶカレーズの竪坑はまるで蟻の巣穴のように見える。この地に暮らす人々は働き蟻のように強大な自然と向き合い、微力を 積み重ねて終に偉大なカレーズを築き上げたのだ。トルファンのカレーズはその延長距離で長江、黄河、北京と杭州をつなぐ京杭大運河をしのぎ、かの万里の長 城をも越えている。  乾燥した気候が人々にカレーズを造らせ、酷暑が葡萄園を開かせ、自然がトルファン人の気質を育んだ。これらのすべてが緊密に結びつき、調和し合い、砂漠 にトルファンという楽園を生んだのである。